「ウェブ2.0は、まだウィンドウズ3.1の時代にある」
「提供する側」としては、少なくともこういう視点に立って、将来を見据えなければならないと思う。
ティム・オライリー:WEB2.0提唱者に聞く----独占インタビュー : 毎日jp(毎日新聞)
印象に残るセンテンスをメモ。(元記事が消えるとイヤなので大量にメモ。)
ウェブ2.0は「モノ」ではなく、市場の段階を表す概念だ。パソコン(の基本ソフト=OS)にたとえるなら、ウェブ2.0は、まだ(92年に発売された)ウィンドウズ3.1の時代にあるといえるだろう。
今後5年以内にはウェブの世界の風景は大きく変わるだろう。
ネットバブルがはじけた時は、どの会社がネットワークを「プラットフォーム」だときちんと理解していたのかを見分けやすかった。これがウェブ2.0の本当 の始まりだった。なぜアマゾンやヤフー、eBayは生き残り、多くの会社は生き残れなかったのか。成功者はインターネットユーザーに付加価値を提供するこ とで得られる利益についてきちんと理解しており、単に「ページビューを稼いで、広告でもうけよう」とは考えなかったからだ。
多くの人は、ウェブ2.0とは様々なアプリケーションの集合体、あるいはブログやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、(ユーザー同士が内 容を更新し合い、質を高める形式の)「ユーザー・ジェネレーテッド・コンテンツ」などのことだと考えている。しかし、私はもっと広い意味でとらえる。ウェ ブ上で動作する様々なアプリケーションを束ねた“じん帯”として、「『集団知』をけん引すること」だと思う。
ウェブ2.0の未来は多くの場合、データベースの奥に隠れている価値の蓄積を見つけ出し、利用者が使えるサービスに変えて行くことだろうと思う。重ねて言 うが、データをいかに解錠して利用者サービスにつなげていくかを学ぶことだ。データはどんどん自動的に生成されるようになってきている。大きな未来がこの 先にあると思う。
日本のウェブサイトは欧米のものに比べ、やや創造性に欠けるように思う。日本には保守的な技術文化があるし、多くの場合、革新の原動力となる若い技術者に 与えられる機会が少ない。彼らは「なぜ、そうでなければならないのか」と疑問を持ち、全く異なる新しいアイデアを生み出す。しかし、企業家文化が欠けてい るために、多くのサイトは既存の方法から脱却できていない。
(日本の携帯サイトについて:)
オープン・プラットフォームを許可していないし、「集団知」を生かせるアプリケーションを構築する機会もない。それが可能になるまでは、モバイルの可能性 は制約を受けるだろう。ただ、モバイル革命は、ウェブブラウザー革命より、さらに大きな潜在力を秘めているといえる。驚くべき革命につながるだろうが、今 はまだだ。
パソコンが世に出た時にハードウエア業界で起きたことと同様、ソフトウエア業界で何が起きていたのか、よく考えた。パソコンは新しいビジネスモデルだっ た。誰かがパソコンの仕様書を作れば、誰でも同じものをつくることが出来た。(中略)その結果どうなったかといえば、ハードウエアの価値は失われ、 価値はソフトウエアに移っていった。
オープンソース・ソフトウエアがウェブに登場した時、似たようなことが起きているのではないかと感じた。オープンソース・ソフトウエアは卓越したソフトウ エア理論だった。オープンソース・ソフトウエアは、ソフトウエア自体を売ることで収益を上げるのは困難になるが、ソフトの価値が失われるわけではない。価 値はどこか別の場所へ移る。では一体、どこに行くのか。
ウィキペディアは、誰かが書き込み、別の誰かが改良することで、より正確なものになっていく。新しい出版刊行の形だ。旧来の出版者は、それを理解しなければならない。グーグルもウィキペディアもエンサイクロペディア・ブリタニカも出版者だといえる。
(新聞やプリントメディアの将来について:)
生き残ることは出来るだろう。ただ、問題は成功するかどうかだ。楽譜が音楽をシェアする手段だった時代には、人々は楽譜を買ってピアノを弾いた。ところが、音楽が録音出来るようになると、人々は楽器を弾くのをやめた。そして、楽譜の市場は縮小していった。
(ウェブ社会のマイナス面、例えば、幼い子供がオンラインゲームにのめり込むなど、現実世界と仮想世界を区別することがますます困難になるのではという指摘に対して:)
そうかも知れない。懸念はいつでもあるものだが、インターネットについての懸念は、いつも大げさに語られる。では、テレビの影響はどうだったのか。 あるいは、読書の影響は。ルネッサンスの時代に、「乗馬や鷹狩りをするべきなのに、うちの子供は引きこもって本ばかり読んでいる」と嘆いた家族の姿が私に は容易に想像出来る。
世界は変わる。もちろん、悪者はいる。常に問題もある。子供のころ、母親に「ボウリング場には麻薬の売人がいるから近づいてはいけない」と言われたことがあった。しかし、ボウリング場と麻薬の売人の固有の連携があるわけではない。
(ウェブの将来について:)「WEB3.0」についての具体的言及はなかったが、こればかりはまだ誰にもわからない、ということだろう。
私は極めて楽観的だ。
でも、WEBの世界が大きく変化していくのはまず間違いない。
WEB2.0の現在、我々が目指す新しいアプリケーションは、『集団知をけん引すること』を念頭に置かなければならないということ。これこそが最大のヒントだろう。
すなわち、ブログやSNSをこねくり回すようなレベルではない、より革新的なアプリケーションが、WEB2.0の世界でもまだまだ産まれ出てくるということだ。
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